勇者と賢者







かつて天の上からこの地に降りたという勇者。彼はアレフガルドの大地に巣食う闇の根源、大魔王ゾーマとの死闘の末、世界に光をもたらし「伝説の勇者ロト」と呼ばれた。しかし、その後誰も「勇者」の姿を見たものはいない。

***

「また空を見てたんですか?」

丘の上。あの人は、背丈の低い草の中に身を投げ出して眠っていた。声をかけても目覚めない。隣に座るとかすかな寝息が聞こえる。
私たちの生きていた世界とは別の世界、アレフガルドを闇で覆い尽くしていた大魔王ゾーマを討って、元来た大穴が閉じてからこの地で過ごして半年が経った。空は私たちのいた世界となにも変わらない明るさで、かつてあの空の上に穴があって、別の世界と通じていたことなんてわからないくらいどこまでも高く抜ける青色。


――あれからずっと、暇さえあれば勇者様は空ばかり見ている。きっと、アリアハンへ帰りたいのだろう。もう叶うことのない願いだ。それでもその気持ちはわかる。「勇者様といればどこだって幸せ」なんて普段から言っている私ですら、時折あの世界が懐かしい。勇者様にとっては尚更だ。あの国で彼の母上はどんなにか我が子の帰りを待ちわびているだろう。たくさんの土産話も、オルテガ殿のことも、世界に真の平和をもたらしたことも、私たちに伝える術はない。

「諦めてこの地に骨を埋めろなんて、人の気も知らないでご立派なことですよね」

この地で出会った幾人かの賢人たちに、魔王を討ち果たすための大きな手がかりを得た。大穴が閉じた後、彼らなら戻る手立てを知ってはいないかと足を運んだが、帰ってきたのはその言葉。他にも「勇者の血統をこの地に残せ」なんて言われたりもした。勇者様はどんな思いでこの言葉を聞いただろうか。アレフガルドの創造主だという精霊ルビスにも知恵を求めたけれど、彼女に至ってはあの塔での邂逅以来居場所が知れない。
勇者様はまだ目覚めない。髪がかからないようかき上げながら、頬に口づけをした。

「私は……あなたが本当に帰りたいなら、あなたと離れ離れになっても帰れるようにしてあげたい。でも私、わがままなんです」

離れたくない。この地に縛り付けられても、一緒にいられるならそれでいい。
勇者様がゆっくり瞼を開いた。

「こんなところで寝たら風邪をひきますよ、勇者様」

「……僕を勇者様って呼ぶのは、どうして?」

起きて早々に、彼はそんな質問をする。

「どうしてって…シンプルな理由ですよ。あなたこそが世界を救うんだって、思ってましたから。……なんて、もう言わないでおく理由もないし正直に言っちゃおうかな」

「……?」

「あなたのことが好きで、今までもそれは素直に伝えてきました。でも名前だけはどうしても恥ずかしくって、ふざけ半分なふりして、自分の気持ちに向き合うのを避けてたんです」

どう呼んでも、なんだか自分らしくないような、そんな気がした。遊び人ショコラとしても、賢者ショコラとしても。そんなことを気にかけてない分、あの盗賊の方が私よりもよっぽど自分の気持ちに正直だ。それがまた悔しい。

「……そっか。ごめん」

「?」

突然勇者様は私に謝る。何か彼が私に悪いことをしただろうか。

「僕は君以外にもたくさんの人に勇者って言われてる。勇者オルテガの子だとか、勇者ロトだとか、別にそれがどうってわけじゃないけど…ココやソルトは僕のことをナッツって呼ぶのに、君は初めて会った時からずっと僕の名前を呼ばないのは、なんでなんだろうって思ったんだ……勇者でもなんでもない、”僕”自身のことは見てないのかなって、一瞬そんなこと考えちゃったから…それが申し訳なくて」

苦笑しながら、寝転んだまま私の手に触れる。

「そんなことあるわけないのにね。君が僕のことすごく好きだって、ずーっと知ってたはずなのに」

「……もう…そんなこと言われたら、嬉しくってこの場でどうにかなっちゃいそうです」

「ショコラがそうしたいなら、構わないよ」

無防備に笑う勇者様。


「勇…………ナッツは、元の世界へ帰りたいですか?」

彼は目を丸くして、ちょっと笑った後空をじっと眺めた。私と正反対の、澄んだブルーの瞳に空の色が重なる。

「帰りたいよ。アリアハンの王に挨拶して、家に帰って、じいちゃんに旅の話を聞かせてあげて、母さんの料理が食べたい。……父さんのことも、教えてあげたい」

「……」

「でも、どうやってもそれは無理そうだし。ラーミアほどの力を持つ存在なら別の世界にだって行けるのかもしれないけど、あの子は向こうへ置いてきちゃったからね」

「今頃どうしてるでしょうね、元気だといいんですけど」

「きっと元気だよ、だって不死鳥だもの。……それはそうと、僕は帰りたい気持ちはずっと持ってる。でももう、そろそろここで誰かと残りの人生を生きて行くのもいいかなって、やっと思えるようになってきたんだ」

手のひらを空にかざして、指の間から差し込む光に目を細めながら彼は笑った。
彼がこの地で生きて行く。この世界でずっと生きて行く。神様が私のわがままを叶えてくれたような気がした。でもそんな風に思ってるなんて知ったら、彼はきっと悲しむ。


「それじゃあ、私と一緒に生きてみますか?」

「君と?」

「嫌なら、断ってもいいんですよ」

彼の目を見つめる。今まで散々、ちょっかいを出したりして彼を泣かせたり困らせたりしてばかりの私を選んでくれるとは思っていない。ただ、チャンスがあるなら言ってみるだけ損はしないはず。
彼はちょっとの間黙っていた。私にされてきたことの数々を思い出してるように見えて、自業自得ながら胸がばくばくする。


「いいよ。一緒に暮らそうか」

「ですよね、やっぱりこんな女……え?」

今聞こえた返事に耳を疑う。彼は起き上がって正座し、照れて視線をそらしながら言葉を続けた。

「その…ふつつかものですが…」

「それってどちらかといえば私が言うべきだと思います」

「あ、あー…そっか、ごめんショコラ」

「可愛いですね、そういうところも含めて大好きですよ」

そっと頬に手を触れて口付ける。彼も黙って応じてくれた。そのまましばらく唇を触れ合わせ、顔を離すと目が合った。もうキスなんて何度もしてるのに、なんだか妙に照れくさい。

「今なら、まだ考え直せますよ。後から私相手とじゃ無理だと思っても、遅いですから」

「ううん、僕は君と共に生きるよ。今まで魔王だとか、父さんのこととか、何かを追いかけるのでいつも精一杯だった。今はそういう相手もいなくなって、誰かを愛する余裕もできたし……いや、こんな言い訳失礼だよね」

黙って首を振る。それでも彼は言葉を続けた。

「愛してくれるみんなの気持ちに甘えてた……嬉しい時も、苦しかった時も君は一緒にいてくれたから。もちろんそれは仲間としてだけど……これからは僕の…奥さんとして……一緒にいてくれるかな。ちゃんと君を愛したいんだ」

私の手を握って、静かに笑ってくれる。今までずっと、彼は自分のことを好きな人は無条件に好きだと言っていた。これからもそんな子供のような彼でいるのかと思っていた。私が気がつかなかっただけで、魔王を討ったことによる変化は、彼の中でも起きていたんだ。
思わず涙が出そうになる。ぎゅっと手を握り返して、いつも通りの笑顔を向けた。

「はい。幸せにしてくださいね、旦那様」

「うぅ…魔王を倒すより難題……でも、きっと幸せにするよ」


なんだかおかしくって、二人してくすくすと笑った。守るべき勇者様が、これからは私の旦那様。ロトの伝説も、なんでもないただの二人の人生も、これから始まる。