トルテとクッキーのおはなし - 6
前夜
それからは街で城の情報について聞き込みをしつつ、街の周辺で経験を積んだ。クッキーもだいぶ頼もしくなり、見ていて危なっかしい部分は目に見えて減ってきた。最近ルーラを覚えたらしく、多少街から離れても魔力が尽きなければあっという間に帰還できるようになりますます頼れる存在になっている。あの錆びた剣は結局まだ処分はしていない。いずれ修復してまた使うのだと言い、それとは別に新しく長槍を扱うようになった。
「城下から来た行商人曰く、城内には兵士たちの無念が形を持ってさまよってるって話だよ」
「眉唾物だが、ありえない話じゃないな。魔力に長けたあの国の住民ならなおさらだ」
そろそろムーンブルクへ出発する算段をしなければならない。二人でこれまでの情報を総括しながら、新調した装備とともにごちゃごちゃと増えた道具の整理を行っていた。今更用途のなくなった棍棒や拾い物の衣服は明日まとめて売ってしまおう。
部屋の隅を見やると、すっかり肉付きのよくなった仔犬が魔導士の杖をくわえていた。洗われた毛並みは艶やかで美しく、その首には首輪の代わりに紐で結わえた魔除けの鈴が光っている。どれも以前クッキーが福引きで当てたものだが、仔犬のおもちゃにやってしまうのはいかがなものか。今の所は使わないので大した問題にはならないが…
「すっかり杖がお気に入りみたいだね」
「そこらの木の枝とはわけが違う代物だってのに…犬にはわからないか」
「いや、多分わかってると思うよ。この杖に限らず魔力の宿ったものにはよく反応するんだ」
なんの変哲もない仔犬だと思っていたが、不思議な特技があったようだ。
「物探しの役には立つだろうな。俺はもう寝るぞ」
「うん、おやすみ」
部屋の灯りを消す。寝台のそばの小さな照明を背後に感じながら、一足先に毛布をかぶって眠りについた。
*
街の喧騒もすっかり静まった深夜、どういうわけか目が覚めた。そんなに早い時間に寝たわけでもないのに、目が冴えてしょうがない。月でも見るかと身を起こすと、隣の寝台から微かな物音がした。仔犬を一緒に寝かせているのかと思ったが、仔犬は部屋の隅で眠っている。寝息とは違う、押し殺した苦しげな声。まさか病気か、それとも魔物から受けた毒が抜けきっていなかったのか。慌てて近寄り、背を向けて横たわるクッキーの肩を掴む。
「おい、どうした」
「ひっ」
素っ頓狂な声をあげてクッキーが顔を向けた。怯えたように青褪めているが、その頬は上気しわずかに汗が伝っている。もしや熱病かと気が気でないこちらとは裏腹に、クッキーは目をそらし毛布で身を隠そうとする。
「な、なんで急に」
「なんでも何も、お前の様子がおかしいから気になったんだよ。ちょっと見せてみろ」
再び背を向けようとするクッキーの肩を押さえて仰向けに転がしたまま毛布を引き剥がす。クッキーは最後まで抵抗していたが、毛布を剥いでみてその理由がわかったし、一瞬でこんなことするべきじゃなかったと後悔した。
この年頃の少年に自慰なんてむしろ当たり前の行為なのに、ここまで少しも思い至らなかった自分を殴りたい。いや、思い至らなかったのではなく、クッキーを子供扱いしすぎていたことの証左に違いなかった。なんと声をかけていいか迷っていると、クッキーは目に涙を湛えてゆっくり起き上がり、袖を掴んできた。
「…すまん、恥をかかせるつもりは…なくて、純粋に心配して」
「わかってるよ。ごめん…本当にごめん…」
「なんでお前が謝るんだ、非礼を働いたのはこっちで」
「違う、違うんだトルテ、僕は……」
袖を掴む力が強くなる。涙と共に言い知れぬ思いを孕んだ瞳で見つめるクッキーを見て、なぜか彼の言いたいことがわかった気がした。袖を掴んでいた腕を引き寄せて抱きしめ、頭をわしわし撫でる。
「してほしいことがあったら、素直に言え。できる限りのことはする」
「…………触ってほしい…」
押し黙っていたクッキーが、肩に顔を埋めながらぽつりと小さく口にする。どこを、とは言わなかったが、聞かなくても直前の行動でわかる。頭を撫でながら、もう片方の手を服の裾に伸ばす。むき出しになった腹をなぞるように下へ滑らせ、指先が触れるとクッキーの口から吐息が漏れた。包むように指を這わせ前後に動かすと、先走りが絡みつく。だらりと垂らしていた腕は肩に回され、苦悶に耐えるように押し出していた声は徐々に甘い声に変わっていく。
「はっ…ぅ、くぅ…」
あの犬よりもこっちの方がよっぽど仔犬だな、なんて考えながらしばらくぼんやりと動かしていたら、クッキーがびくりと身を震わせてぎゅっとしがみついた。
「とる、てぇ…もう…むりっ……」
「ん、無理でいい。何も考えんな」
ぐっと頭を抱いて、手の中のものをやわく握りしめる。クッキーの恍惚に満ちた弱い嬌声を間近で聞きながら、手の中にぬるりとしたものが吐き出されるのをじっと受け止めた。
ぐったりともたれかかるクッキーの身体を軽く拭い、手についた精液を拭き取ってから衣服を整えてやる。クッキーは焦点の合わない瞳でぼんやりと宙を仰いでいたが、寝台に横たえられ見下ろされると急に我に返ったように叫んだ。
「待って!無理だよこれ以上!」
「落ち着けよ、別に何かする気は…」
その時、クッキーの声に驚いたのか、眠っていた仔犬が突然目を覚まし飛びかかってきた。突然のことで自分もクッキーも対処できず、クッキーの髪に触れていた腕に思い切り咬みつかれる。魔物に比べれば仔犬の牙などなんということはないが、これまで一度も暴れたことのなかったこいつがいきなり牙を剥いた事実に二人とも面食らった。慌ててクッキーは仔犬の胴をつかみ引き離そうとするが、口が腕から離れた瞬間今度は顔面に爪をもらう。
「や、やめろ!どうしたんだ急に…!」
「ウゥゥゥ!」
クッキーの腕に抱かれた仔犬が牙を剥き出しにして唸る。飼い主に危害を加えようとした暴漢にでも見えたのか、しばらくクッキーが抱き締め大丈夫だと繰り返すと大人しくなった。
「まさかトルテに咬みつくなんて思わなかった…傷、大丈夫?」
「腕の方は大丈夫だ。顔はわからん、自分じゃ見えないからな」
犬を刺激しないようになるべくクッキーと距離をとったものの、怪我の程度がわからないと言うとクッキーの方から近寄ってきてホイミを唱えてくれた。痛みがすっと引いていく。
「ごめん、僕が大声出したからきっと驚いたんだよ」
「気にすんな、状況的にはそう見えたってしょうがないだろ」
仔犬は満足したのか、クッキーの腕からするりと抜けだして元の自分の寝床に戻る。今後もこいつを手元に置いておくべきなのかと少し考えたが、クッキーの番犬としては適当に思えた。
「…トルテ」
「なんだ」
「……その…変なお願いして、ごめん…ありがとう」
合流した時以来の、やっぱり謝罪なのか感謝なのかわからない返事。しかしどっちも本心なのはわかる。ああともうんとも言うのを忘れてじっとクッキーの顔を見ていると、さっきまでのことを思い出して恥ずかしくなったのか顔を赤くして俯いた。
「気持ち悪かったよね。もうこんなこと頼まないから」
「……気持ち悪いと思ってたら、そもそも聞かないぞ」
「え?」
クッキーはしばしばこうやってぽかんとした顔で人の返事を受ける。犬に咬まれて自分でも苛立っているのか、それともクッキーの自分を下げる悪癖にもどかしくなったのか、つい刺々しい言葉を返した。
「生理的に受け付けない要求を相手への情だけで受けてやるほど俺がお人好しに見えるか?お前そうやって自分を卑下するの控えろって前にも言っただろ」
「……それって…」
「人肌恋しい気持ちは理解できるし、少なくともこのくらいは別に嫌じゃないが」
言ってみて自分でもなるほどと思ったが、心細い旅で誰かに触れたい、触れられたいと思うのは自然な欲求だ。できれば女が良かったのだろうが、この場で昂ぶった気持ちを鎮めてもらうには手近な人間で妥協するしかないわけで…
「これからは溜まる前に相手を探しといた方がいい、娼婦ならどこの街にもいるだろうし困ることも」
「ち、違う!そうじゃないよ!」
「ん?」
慌ててかぶりを振るクッキーに思わず自分も首を傾げる。何か勘違いでもあったか?
「違うってなんだ?もう我慢できないからとりあえず俺に触って欲しいって頼んだんじゃないのか」
「それはそうだけど、そういうことじゃなくて……」
伏し目がちに答えるも、その先をどう説明していいかわからない様子のクッキー。黙って答えを待っていると、不意にクッキーが顔を近づけ、唇に柔らかいものが触れた。クッキーが顔を離してからその感触を何度か反芻して、ようやく彼の言いたい事がわかって顔を覆った。
……なんつー勘違いしてたんだ。『俺でいいから』じゃなくて、『俺だから』触って欲しいのか。それは予想していなかった。
「…き」
「待てこら、『気持ち悪いだろ』は無しだ」
そう言おうと思っていたらしく、クッキーは口をつぐむ。気持ち悪いなんて思う訳あるか。
「言いたい事はわかった、とにかく俺はお前を気持ち悪いなんて思わないからそれは安心しろ。その気持ちに応えられるかどうかは…ちょっと考えさせてくれ」
「……わかった」