トルテとクッキーのおはなし - 7
月の城塞
翌朝のクッキーには普段ののんきな雰囲気は感じられなかった。仔犬も仔犬で心配そうにクッキーの足元にぴったりとくっついて離れない。昨夜はこいつに完全に敵と見なされたが、すまないことをしたと思ったのか、はたまた顔の傷がすぐに消えてそれとわからなくなったからか、自分に対してはいつも通りの振る舞いを取り戻していた。
「気持ち切り替えろ、今日はムーンブルクまで行くんだ」
「うん」
上の空の返事。昨日の今日で気持ちを切り替えろなんて無茶を強いてしまったかと一瞬考えたが、クッキーは頬を何度か叩くと、もういつものおっとりした笑顔に戻った。
「プリンのためにも頑張らなきゃ。ところでトルテ、この子どうする?」
「さすがに置いていくしかないだろ。街周辺でうろつくならともかく、今回は遠出だ。守っていく余裕もないし、無闇に連れ出して死なせたら気の毒だしな」
足元の仔犬を見る。ついていく気満々で尻尾を振り、ぐるぐると足の間を行ったり来たりを繰り返すのを見ると少し申し訳なくなる。最初は大して興味もなかったのに、もう情が移ってしまったかもしれない。
「そっか。じゃあお留守番だね」
クッキーは寂しげに笑うと、荷物の中から魔導士の杖を取り出して仔犬にやった。仔犬は置いていかれることがわかったのか、縋るように一声吠えてクッキーの袖を咬む。
「絶対帰ってくるから、それまで預かっててほしいんだ。君を信頼してる」
頭を撫でられた仔犬はキュウと鳴いてその手を舐める。街を出るまでは鈴を鳴らしながら後ろをずっとついてきたが、街の入り口で追うのをやめると、ずっとそこにいて離れる自分たちを見送っていた。
*
ようやく目にしたムーンブルク城は、昔の思い出の中で感じた威厳など一欠片も残らない廃墟と化していた。人々の魔力の残滓は魔性の餌になり、浄化されない穢れがそのまま淀みになって地に満ちるその惨状を見て、思わず眩暈を覚える。ことここに至っては、自分よりもクッキーの方が強く気を保っていた。王女は絶対に生きている、というかすかな希望に支えられた脆い勇気ではあったが、それでも己を奮い立たせるには十分だ。
「玉座に行こう。陛下に挨拶をしないと」
「…ああ」
既にそのなりを留めていなくても、ここは王城で自分達は訪問者。敬意を忘れてはいけない。
朽ちた玉座を前に二人で跪き、しきたり通りの挨拶を済ませる。城内を調べにその場を立ち去ろうとした時、玉座の端がぐらりと揺らいだ。
――おぉ………しや…
「!」
咄嗟にクッキーを背に庇い身構える。こだました声の主はぼうぼうと燃える炎のようにその姿を現した。悪霊の類か、新種の魔物かとも思ったが、クッキーが自分を押しのけて前に飛び出し、その場に跪いた。
「ムーンブルク国王陛下、お久しゅうございます。サマルトリア王子クラッキールと申します、覚えておいででしょうか」
あの魂が国王――にわかには信じ難かったが、もしやクッキーの目にははっきりと人の形に見えるのだろうか。疑う余裕もなくすぐに自分も跪き、再度挨拶を述べる。
「ローレシア王子トゥルテオにございます。この度の不意の王城の襲撃、何の援助もできなかった非礼をどうかお許しください」
――そこに…誰かおるのか…わしにはもう何も見えぬ…何も聞こえぬ…
人魂は悲しげにゆらめく。二人して顔を見合わせ、次の言葉を待った。
――もしも……聞いているものがいるのなら…どうか娘を…王女を救ってくれ…王女は呪いをかけられ、犬に変えられてしまった……おぉ…口惜しや…
人魂、いや国王はそれ以上何も言葉を発さなかった。もはや何も彼に届かないのであれば、王女を救ってほしいという望みを叶えてやるしかできることはない。一礼してその場を離れると、魂はまたゆらめいてその姿を消した。
地下階まで調べてみたが、書庫の資料に至るまで魔物に焼き尽くされていて、王の残した言葉以上の情報は得られなかった。城のそこここには王のように、無念を現世に残した兵士たちが数人揺らいでいる。
「彼らにも話を聞くべきだよ。王女の消息を掴むために必要だし」
「それは賛成だ。……一つ聞きたいんだが、あの魂が陛下だとよくすぐに分かったな。お前には人間に見えたのか?」
「ううん、僕の目にも炎のようにしか見えなかった。けど、王はいつだって玉座にあるものじゃないか」
クッキーは悲しげに笑った。死の鎮座するあの玉座から、いつか王は解放されるのだろうか。
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