トルテとクッキーのおはなし - 10




鏡が割れる時


朝、普段寝坊助なクッキーが珍しく早く起きて身支度を整えていた。昨夜のことはお互いあえて口にしない。

「それだけ本気で探してくれてる姿を見たら、王女もお前に惚れるかもな」

「それはないと思うなぁ、プリンとは仲はいいけどそんな感じじゃないんだ」

なぜか断言された。確かに王女とは4歳も歳が離れているし、恋人というよりは姉弟の方がしっくりくる。魔法が使えるという共通点もあるし、同好の士というところか。

「城までルーラで行って、そこから東に進めば少しは早いんじゃないか」

「そうしよう。今度はこの子を連れて行ってもいいかい?」

「城の調査ほど危険じゃないし、まぁ構わないか。鏡が手に入ったらまず使うつもりなんだろ」

クッキーは苦笑しながら仔犬を抱き上げる。もし王女だったら、昨日や以前のことをどう言い繕ったものか。ちょっと考えてみたが特に答えは出なかった。
この間と違い城までは呪文で一瞬、そこから歩いて東に向かった。城の東は鬱蒼とした森が続いていたが、クッキーが旅を始めた頃のようにすぐ転んだりへばったりということがもうなくなって随分あっさりと進んで行く。やがて森が開け、目指す沼地が姿を現した。その色はなんとなく見覚えがあった。

「よりによって毒の沼地か…」

ローレシアを発ってサマルトリアに向かう道中、同じような沼地を一度通過したことがある。普通の沼よりも泥に毒素が多く、周辺の空気は澱んでいた。この沼は鏡の力の影響か、それとも周辺の樹木のおかげか空気の淀みは感じないが、この深さも毒素の濃度もわからない沼をさらって鏡を探すことを考えると思わず溜息が出た。

「……自然に含まれる毒素は、キアリーで抜けないんだよな」

「うん、基本的に異物を除く要領だから…」

二人して立ち尽くしていると、仔犬が走り出して沼の外周を嗅ぎ回りこちらへ向かって吠えた。それを見たクッキーがあっと声を上げる。

「もしかして、鏡の魔力に反応してるのかも!」

「それなら話が早い」

すぐさま沼に足を踏み入れる。幸いそれほど深みはなく、膝上ぐらいまで浸かったところで底に足がついた。泥に触れた先から毒が染みてじくじくと痛みが広がっていくが、素早く鏡を見つけてしまえばいい話だ。沼の縁に立つクッキーに手を振ると、クッキーは頷いて仔犬に何事か指示を出す。仔犬は沼の奥へ走っていき、北東方面の岸辺で座り込んだ。結構遠い。
一度上がってから再度入ろうとしたが、泥の粘り気が強くうまく足が上がらない。やむなく泥をかき分けて歩いて犬の待つ方へ向かうと、浮かんだ大木を押しのけたあたりで仔犬が激しく吠えたてた。恐らくこの下だ。深く息を吸って、両腕を泥に突っ込む。足よりも早く、鈍い痛みが手を蝕んだ。顔をしかめながら手探りで泥を探っていると、硬いものが足先に触れた。掴んでみると、平べったい形状をしている。

「これか!」

掴んだ両手に力を込めて引き上げると、先ほどまで沼に沈んでいたのが嘘のように、泥を弾き輝く丸い鏡が姿を現した。遠くからそれを見て歓声を上げるクッキーに得意になったのも束の間、鏡を持つ手が早くも痺れ変色しているのを見て慌てて岸に這い上がる。想像以上に体力を消耗して倒れた自分に、すぐさまクッキーが解毒と回復を行った。

「大丈夫?他にもどこか毒が残ってるかも」

「いや、もう平気だ…体が軽いな。それより鏡を」

手渡した鏡を、クッキーはしっかりと両手で受け止める。汚れも傷も何一つない不思議な鏡の面に、クッキーの丸い顔が映っていた。その足元で仔犬がしきりに鏡を覗き込もうとする。根拠も何もないが、きっとこの犬が王女だ。自分もクッキーもすでにそれを確信していた。

「……プリン」

クッキーはそっと、仔犬の前に鏡を差し出す。仔犬が顔を近づけ二人で覗き込むと、そこには丸々とした仔犬ではなく、長い紫の髪と緋色の瞳をした美しい女の顔が映っていた。

記憶の中の王女の面影と鏡の中の女が重なった瞬間、鏡と仔犬が鮮烈な光を放ち始める。たまらず目を閉じたその時、鏡の砕ける音がした。まぶたに飛び込む眩い光が収まり、恐る恐る目を開くと、そこには砕けた鏡の枠と、地面に手をついてぺたんと座り込む女の姿があった。呆然とその姿を見つめる自分とは反対に、クッキーはすぐさま女に駆け寄って声を掛ける。

「プリン!プリンだね!?大丈夫かい?どこか痛いところは」

「…………クッキー…」

女が口を開く。クッキーをじっと見つめ、ゆっくりとこちらに顔を向けたその姿は、紛れもなく王女その人だった。

「プリン、王女……」

「……トルテ?」

もう互いを呼ぶ名は決まっていた。恐る恐る歩み寄り、その手に触れる。王女、もといプリンはそっと手を握り返し、己の細い指をじっと見つめて呟く。

「…私、元に戻れたのね……夢みたい…もう、ずっとあのままかと…」

そこまで口にして、プリンの唇が震える。次の瞬間には自分達をぎゅっと抱きしめ、大粒の涙がぽろぽろと溢れた。その様子に安堵してクッキーを見やると、こっちまでもらい泣きしていた。

「ぷ、プリン……無事でよかったよぉ…ぼく、ずっと、しんぱいで」

「クッキー…ありがとう、嬉しいわ…トルテもよ、こんなに傷ついて…」

言われて気がついたが、沼に突っ込んだところから衣服が傷んでボロボロになっている。

「…プリンの受けた苦しみに比べたら、この程度なんてことねえよ」

「ふふ、かっこいいこと言えるようになったのね。クッキーをいじめたお子様はもういないみたい」

頬に触れながら、涙を拭ったプリンが朗らかに笑う。ちょっと気恥ずかしいのを紛らわしたくてプリンに触れ返そうと手を伸ばした。

「わあああああぁ!ちょ、ちょっと待って!見ちゃだめだ!」

クッキーの絶叫で慌てて手を引っ込める。プリンが不思議そうにクッキーと自分とを交互に見て、それから足元に視線を落とす。その動きにつられて、自分もプリンの顔から下に目をやってしまった。その柔らかな肢体は何も身に纏っておらず、素肌が丸見えだった。首には犬の時につけてもらった魔除けの鈴が輝き、豊かな髪が覆い隠す乳房は大きくなだらかで、よくないとわかっていても目が吸い寄せられる。プリンが何も言わないのをいいことに、つい腹から下に視線を動かした瞬間、クッキーに飛びつかれ覆い被さられた。

「見るなー!!!」

「クッキー!やめなさい、トルテを離してやって」

プリンの制止で冷静になったのか、まだ動揺は収まっていない様子だったが拘束を解かれた。クッキーは顔を真っ赤にして目をつむりながらマントを外し、プリンに突き出して顔を背ける。

「ありがとう、クッキー」

「うん…ごめん、こんなのしかなくて」

クッキーが気を利かせているのに自分が何もしないわけにはいかない。荷物の中から着替えを適当に引っ張り出して、うっかり見ないよう目を覆いながらプリンに差し出した。男物だから女には大きいが…ないよりマシだ。
とりあえず街に戻るために間に合わせの服に着替えはしたものの、素足のままでプリンを歩かせるわけにはいかない。

「僕が背負うよ」

「そんな、無茶しちゃ良くないわ」

「背負うくらいならできるだろ、プリンは身軽だしこいつももう昔ほどひ弱じゃない」

さりげなくプリンを褒めたつもりが、当のプリンはこの程度のお世辞には動じないのかけろりとして、傍らのクッキーがなぜか照れる。袋からキメラの翼を取り出すと、羽の端が少し曲がっていた。

「準備できたら行くぞ」


声をかけると、クッキーが一呼吸おいてからプリンを背負って立ち上がる。二人の肩をまとめてつかみ、空高くキメラの翼を投げ上げた。



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