勇者の望み 五
子羊を手にして以来、王を奪われたサマルトリアの軍はなんとしても陛下を奪還すべしと沸き立っていた。あるいは既に王が亡き者にされたと踏んで、打倒ローレシアの機運を高める勢力もあった。
ローレシアの勇者王は手を打ち、彼らのうち力ある要人を城へ招いてその前に子羊の姿を見せてやった。無論、王者として人前に立たすにふさわしい装束を着せた上で。
敬愛する若王自身の口から併合を受け入れた旨を告げられ、あるものは異を唱えたがあるものは項垂れその言葉を聞いていた。平穏を愛する彼らしい決断だと受け止められたことで、勇者の思惑を遮るものはほとんど消え失せていた。
「よくやったな、いい子だ」
自室にて、王は抱き竦めた子羊を慣れた手つきで裸身に剥き、淡く色付いた乳首を捏ね回している。
「んぁ……アッ、はぁっ、へいかぁ……」
「よく揉んでほぐしてやらないと、いずれ子を産んだ時に乳をやれないからな」
「ァ……ぼ、ぼくは……そんな……ァッ」
摘まれ搾られ、出るはずもない母乳を促されて子羊は甘く鳴き声を上げた。
王が目配せをすると、子羊は頷いて床に這い尻を突き出した。王はその華奢な体にのしかかって己の豪剣を突き入れる。
声にならない声が上がり、子羊は必死に身をよじって王から逃れようと這いずった。それを赦すはずもなく、王は子羊をたやすく捕らえると抱き竦めながら立ち上がって子羊を串刺しにする。
「あぁ……!陛下、だめ……」
「久しぶりに王様の格好をしたからか?今日はいやにワガママじゃないか……腹立たしいが、それでもかわいいよ」
「あっ、やぁぁ!」
貫かれたまま立たされた子羊の足は片方しか床についておらず、その片方も爪先ばかりと頼りない。王は自分に身を預けるしかない子羊に何度もキスを送りながら、しかし容赦することなく己が剣で子羊の理性を切り裂いた。
思う様屠られ、子羊は幾度か気をやって意識を飛ばす。
「うぁ……ぁ…………」
(王子、僕……)
王が子羊の後ろ髪をつかんだその時、バルコニーにつながる窓が割られ、風と呼ぶには鋭利すぎる気流の刃が天鵞絨のカーテンを裂いた。
散らばった硝子片を踏み割りながら歩み寄る侵入者に、王は懐かしむような視線を向けた。
「やあ、しばらくぶりだな。姫」
現れた美姫の紅い瞳には、怒りとも哀しみともつかぬ色が浮かんでいた。雷霆を操る杖を携え、純白のローブに身を包んだかつての仲間――亡国ムーンブルクの姫は、王の挨拶に返事もせず、黙って彼を見据える。
「祖国復興の真っ最中で忙しいと思っていたが……相変わらず大胆な手を使う。キメラの翼か、それとも君もルーラを習得したのかい」
「……彼を離してやって」
息も絶え絶えな子羊の姿から目を背けまいとしつつも、日頃貞淑を旨とする彼女にはやはり見るに堪えないものと映るのか、姫の表情は苦々しかった。それに対し王は嘆息しながら、つかんだ金髪を引き寄せ子羊の首を抱く。
「せっかくのご褒美の最中なんだ、やめたら可哀想だろう」
「それがご褒美だっていうの?死にそうな顔をしているわよ、よく見なさい」
ひゅうひゅうとかすれたような息を吐いて、子羊は王に身を委ねている。己の痴態を見知った相手に晒していることにすら、意識を向ける余裕はないようだった。
王は首を振ると、子羊から体を離してそのまま床へ放り、己の着衣を整える。
「要件はそれだけか?それとも、かつてのこいつみたいに俺を説得しようとでも?」
崩れ落ちた子羊を一瞥して、王はまた瞳に冷たい光を宿す。
「いいえ。あなたがあれほど愛した彼でも駄目なら、私ごときが何を言ったところで『勇者様』には届かないわ」
姫はふと目を閉じ、深く息を吸うと再び瞼を開いた。
「それがあなたの望みなら、好きにすればいい。ただ何もかも持っているあなたが、そうやって人ひとりというちっぽけなことに拘泥しているのが、私、個人的に気に入らないの」
月の姫の手にした杖の先が、王をまっすぐに指す。艶やかな菫色の髪がにわかに浮き立った。
王は眉根を寄せながらも、姫の言葉に微笑を浮かべる。
「なるほど、ちっぽけ……ね」
「何がおかしいのよ」
「いいや、ごもっともだと思っているんだ。恋人ひとり諦めきれない俺よりも、国のために我が身を砕くことも厭わないこいつや君の方がずっと……王者の器に相応しい」
王の、否、勇者の笑みに浮かんだ自嘲の色がより濃さを増す。この問題においてほとんど部外者と言ってもいい姫だったが、二人の間にどういう経緯があったのか、大抵の人間よりもよほど察しはついていた。長い事苦楽を共にした間柄なのだ。
床に倒れたまま肩で息をしている子羊を、勇者は剥ぎ取った自らの外套を以て包み抱き上げる。力なく身を預けているその首筋に触れ、姫に魔封じの枷を示した。
「君のそういう正直なところは美点だよ。俺が気に入らないから倒すというなら、それもいい。だがそうすればこいつの枷は一生外れない。その威光の多くを支える、偉大な魔法の力は失われたまま……哀れな子羊のままだ」
「あなた……本当に狂ってるわ」
「そうだとも、狂ってるんだ。『勇者』になって国を継いで、いずれは良い思い出にできると思ってたこいつへの想いを結局断ち切れずにな……恋とはそういうものさ」
「そう、あなた全部自分でわかっているもの。だから尚更……でもそれはそれ、私はその甘えが気に入らないから、あなたを倒す。彼の枷は、ムーンブルクの技術があればいずれどうにかなるでしょう」
姫の周囲に強大な魔力の渦が形成され始める。勇者は恋人を抱いたまま、身動き一つしない。この場から逃れる事も、まして彼女を返り討ちにする事も、望めば容易い。
範囲魔法では多大な巻き添えを出すだろうとわかっているのか、姫は生成した魔力を杖先の一点に込めた。
そのまま踏み込んで振りかぶり、あやまたず勇者の顔を目掛けて杖を叩き込む。対する勇者は片手でそれを受け止めるが、非力な姫の手による一撃でも、全霊の魔力を込めた打撃は並々ならぬ『理力』となって重みを増していた。
「く……相変わらず、強い女性だ……君は」
姫は何も言わなかったが、心では叫んでいた。
これほどの強さがありながら、あなたがそんなに弱いとは知らなかった。
半ば同情すら覚えながら、それでも姫の王者としての矜持は彼の子供じみた傲慢を許す事ができなかった。
剣こそ手にしていないが、もはやその姿は女戦士に等しい。押し返す勇者の純粋な力と、姫の魔力がその得物にもたらす理力と、性質の異なるふたつがじりじりと拮抗を続けていた。
その最中、ぐったりと気を失っていた勇者の腕の中の子羊が目を開く。
「ぅ…………」
目の前でぶつかり合うかつての仲間同士の光景を、朦朧とした思考でも彼はすぐに理解した。力なく勇者の首に縋って、涙を流す。
「や……めて……二人とも、やめて……!」
月の戦姫の勢いが鈍ったのを逃さず、勇者は彼女の杖を跳ね除ける。ふたつの力の間に生じた衝撃波は、勇者の身をも倒れさす。武器を弾き飛ばされた姫は、衝撃のほとんどをもろに受け、吹っ飛んで床にその身を打ち付けた。
「っあ……!」
「姫……!陛下、どうして」
「お前が気にするようなことじゃない、仕掛けてきたのは姫の方だ」
無論、それがわからない子羊ではない。だがそんなことはもはや関係がなかった。
「陛下、陛下……ううん、王子……もう、いいんです……もう、苦しまないで……」
勇者の首をかき抱いて泣く子羊の枷に、にわかにひびが入る。各々がそれに気がついた瞬間、首飾りのような奢侈な枷はその首から崩れ去った。その枷につながれていたものだけがそれを気にも留めないまま、次第に己を抱いている若者ごと光で包み込んでいく。
「……そんな!」
取り付けたものの意思がなければ外れないはずの枷が、ひとりでに壊れたことに驚く余裕もなく、姫は信じがたいものを見る目で二人を見据えた。
「僕、思い出したよ……君が迎えに行くって言ってたこと。だから僕も、待ってたはずなのに」
「お前、まさか」
見開いた勇者の碧い瞳を、解放された恋人は愛おしげに見つめ返す。それから姫へと視線をやって、すまなそうに笑った。
「姫、僕ら最後までワガママばっかりだ。ごめんね……」
「……!だめよ、それは——」
姫の脳裏によぎったのは、己が身を砕くあの術。しかしそれとは違う温かさがあった。
いずれにせよ、もはや止められない。
勇者たちを包む光はますます強くなって、誰も目を開けていられないほどになった。術者ひとりが、その中で静かに笑っていた。
「——……、——愛しているよ」
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